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飛行機と食を愛するゆる〜い旅ブログ

+旅記録:スリランカ編+

うちのiMacが調子悪く、だましだましで、過去の記録でもアップしていこうかと思っています。
去年の方がいっぱい旅行できたなぁ。今年はあんまりネタないかも。

まずは大好きなスリランカ

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 日本と同じ、いやそれ以上に仏教国なスリランカは、そのために親日国と言われています。

大して差の無い民族同士が争うという内戦が終わり、活気に充ち溢れたこの国は、南国の美しいビーチや大自然、世界遺産としての遺跡も数多くあり、また美味しいスリランカカレーと極上の紅茶をいただける国です。あ、さらに数多くの宝石も採掘されてます。

僕はバンコク経由コロンボ行き、帰りはシンガポール経由となりました。UAのマイル旅行のため、こうなりました。

まずはやっぱり遺跡です。
と、その前にいろいろトラブって、なぜか象サファリへ。

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野生の象は人を殺すからね〜、だって。こわっ。

で、翌日、一番有名な岩、シギリヤロックです。

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この岩、なにがすごいって、かつてはこの頂上に宮殿が築かれていたと。さらにこの麓の草原は、王宮の庭園になっていたのですと。

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頂上は今も礎が残されており、天空の城の様相がうかがえます。
父を殺して王座について兄が、弟の復讐を恐れてこの城を作ったと。
人の執念ってすごい。

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岩の壁に描かれた壁画。
この時代、黒人や他国の人々も、この聖なる国に来ていたそうです。
ロマン溢れすぎです。

 

中略。

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聖都キャンディを抜けて、あ、途中ノリタケの工場もあったけど、大好きなこちら。

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ピンナラワの象の孤児院。
毎日水浴びしにこの川に降りてくるそうです。

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その近くでは、象に乗れます。
タイのとは違って、背に直乗り。

 

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結婚式に参列してた女の子。

 

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スリランカは今でこそ日本のODAが入って、橋や川が作られてます。
かつて、日本はスリランカに救われました。

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こちら、ジャヤワルダナ大統領の家。今は博物館です。

 

以下、この時にFacebookに投稿した一文です。
興味ある方はご一読ください。

 

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スリジャヤワルダナプラコッテ
ご存知スリランカの首都だが、この名前は、次のように訳される。

スリー聖なる
ジャヤワルダナー勝利をもたらす
プラー都市、街
コッテー元々あった地名
Wikipediaより)

この、「ジャヤワルダナ」は、スリランカ初代大統領の名字でもあり、かつてこの地がコッテと呼ばれる前はジャヤワルダナだったらしく、大統領が復活させたのだと。

J.R.ジャヤワルダナ大統領は、今でも伝説のように語り継がれる偉大な人物だった。

実は今回スリランカに来た理由の一つも、このジャヤワルダナ大統領のことを知るためだった。

日本人が忘れてはならない恩がある。
1951年、サンフランシスコ講和会議。
第二次大戦後の世界平和を話し合う会議は名目上で、戦犯として日本を裁くことが目的だったとされる。
その会議上で、セイロン代表として参加していた後の大統領のジャヤワルダナ蔵相が語ったスピーチが、世界を動かした。

「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」

第二次大戦でセイロンも日本軍から攻撃を受け、また重要な物資だったゴムも大量に搾取され、セイロンとしても甚大な被害に見舞われていた。
なのに、日本からの戦後補償をすべて放棄すると宣言したのだ。

それまでの多数意見は、アメリカ、ソ連、イギリス、中国による日本の4国分割統治案だった。
これは、朝鮮やベトナムとは比べ物にならない、日本という国の消失を意味する。

しかしジャヤワルダナの、仏陀の教えを引用したこのスピーチで、同じ仏教国ということもあり、またアジア諸国大東亜共栄圏に参加したのは欧米諸国からの自由を得るためだったことも含め、日本という国を無くしてはならない、今後も自由な独立国として維持していくべきだと語った。

このスピーチでサンフランシスコ講和会議の流れが変わったと言われる。
日本は、今も独立国として存在している。

スリランカ人は、誰しもが知っている話だと言う。
しかし日本人はどれほどの人がこの話を知っていて、スリランカに敬意を表しているだろうか。

…恥ずかしながら、僕は最近テレビで見るまでまったく知らなかった。
あまりの自分の無知さに驚愕した。

コロンボのcity hallの近くに、ジャヤワルダナ大統領がしばらく住んでいたお父さんの家がある。
今はJayewardene cultural centreとして大統領のコレクションや業績を集めた博物館と図書館になっている。
ガイドブックには載っておらず、訪れる人もあまりいないようで、Google先生を頼りになんとか探し出して辿り着いたら、少し戸惑っておられたようだ。

キレイなサリーのお姉さんが案内をしてくれた。
彼の世界中から愛された証がたくさん展示されている。
大統領の直筆の例のスピーチの一節を見た時は、なぜか涙がこぼれた。
館の方曰く、大統領は子供の頃からずっと変わらなかった、純粋なままだったと。

奥には、広島のお寺さんから寄贈された日本関連専用の博物館と日本庭園があり、昭和天皇しかり、現在の天皇皇后両陛下とも交流があったことが伺える。

その後、突然に所長?事務長?が会いたいと言ってきた。
単なる一観光客だからと断ったが、どうしても、と。
つまり、この施設の存在があまり知られておらず、また日本としてスリランカの今後も良好な関係を築いていきたく、ジャヤワルダナ大統領の功績をみんなに広めて欲しい、との依頼だった。
もちろんその先には日本人観光客の促進やら、更なる経済援助やらが含まれるのだろうが、この施設のミッションがこういうことなんだろうと思う。
また、所長と握手する写真も撮られ、ホームページに載せるからと…。(ちなみにそのホームページは検索してもヒットしない。)

所長曰く、サンフランシスコ講和会議では、たまたま日本が裁かれたが、もし他の国であったとしても同様のスピーチをしただろうと。
しかしその後の日本がスリランカに対して行った経済援助や、また津波の際には一番に駆けつけたことなど、非常に感謝していると。
実際、ここ何年もスリランカに対する経済援助の資金額では、日本が一位を維持し続けている。
その使われ方は非常に問題があるらしいが。

しかし、日本がなぜこれほどまでにスリランカに援助をして、かつスリランカ人から好かれているのか、改めて思い返してもいい時期なのではないだろうか。
戦後補償は完結している政府見解だが、まだまだ過去の問題をむし返して補償を要求してくる国がいる中、それにより日本の世界的な立場が微妙になっている今、ジャヤワルダナ大統領の精神を尊重し、それにより日本が世界に愛される国になるよう、草の根からも考えていってもいいと思う。

帰ろうとして、博物館に付き物の寄付箱を探したら見当たらない。
寄付したいんだけど?と聞いてみたら、ここでは受け付けていないと。まぁ、減るもんじゃないし取っといてよ、て言うと、どうしてもというなら所長の許可がいると。
え?!い、いいよ、そんなら…、と引き下がろうとすると、まぁまぁと、再度所長室に呼ばれ、領収書を切られ、その受け渡しを撮影、またお礼だとジャヤワルダナ大統領の伝記本をいただき、贈呈を撮影。
たった5000ルピーなのに!4000円弱なのに!
逆に恥ずかしすぎて、数万円用意しとくんだったと大後悔した。
値段じゃないんです、その気持ちが嬉しいんです!と言われたが。これはホームページに載せて欲しくないものです。
そんな国民性です、スリランカ

今回の旅では不思議な縁でスリランカ人の友人がたくさんできた。
みな日本人が好きだと言ってくれる。(逆に日本のお隣さんたちは、やはり嫌われているらしい。)
内戦終結から3年。まだまだ問題は山積みだが、法整備やらインフラ整備が急ピッチで進められている。
またいつか帰りたい国の一つになった。